日本の色覚問題の歴史

はじめに

1909 明治42年  「日本陸軍は色盲者を現役将校に採用せず」と規定。
 明治8年・11年欧州で起きた衝突事件が発端。
1921 大正10年  「石原式仮性同色表」が完成。
 徴兵検査の重要項目ーー小国民の身体検査。
 文部省(当時)は軍部の指示により「学籍簿」に明記。
1945 昭和20年  終戦戦後も継続(1958年学校保健法)
 小学校1年・4年・中学1年・高校1年で検査を実施。
 学籍簿記載のため「就職に影響」が及ぶ。
 ※「色覚まやかし療法裁判」決着(1980〜1994)
  以後、色覚差別撤廃を唱える声が活発化。
1994 平成6年  「検査は小学校4年1回だけ、学籍簿記載なし」とした。
2003 平成15年  色覚覚検査撤廃。
 「色覚バリアフリー」が活発に言われだした。